1989年6月18日、この国の英語による対外的呼称が「Burma」から「Myanmar」へと変更されました。  日本の外務省も変更にともない「ビルマ連邦」から「ミャンマー連邦」へ変更しました。

《国面積》   ミャンマーの面積は、約67万8500平方ku(日本の約1.8倍)
《人口》     4290万9464人 (2005年7月推計)
《首都》     ヤンゴン Yangon
《政体》     SPDC(the State Peace and Development Council) 国家平和開発評議会
《民族構成》   ビルマ族 70%、シャン族 8.5%、カレン族 6.2%、ラカイン族 4%、華人 3.6%、
          モン族 2%。 その他にも、パオー族など100を超す民族が居住しています。
《宗教》     約85%の国民が仏教徒。 キリスト教徒4.9%。 イスラム教徒4%。
《言語》     ビルマ語が公用語
《通貨》     ミャンマー・チャット
《気候》     中部〜南部にかけては熱帯。北部は温帯。
《フライト》    日本からの直通はなく、バンコク・シンガポールなどで乗り継ぎ。
           最短で、バンコク乗換えで10時間程度。
《時差》      2時間30分
《入出国》     ビザが必要


〜 ミャンマーの主要都市 〜

□ Yangon ヤンゴン □

この地を、ビルマ族のアラウンパヤー王が1755年に占領し、《戦いの終わり》という意味の「ヤンゴン」と名付けた。 過去3度に及ぶイギリスとの戦争でビルマ全土はイギリスの植民地となる。現在見られる市街は、イギリス人が緻密な計画のもと建設したもの。 ヤンゴンを見下ろす丘の上にはシュエダグォン・パヤーが建てられている。










□ Bago パゴー □

ヤンゴンの北東約70kmに位置する。バゴーはバゴー管区の州都であり、マンダレー・バガンと並ぶ古都として知られている。13世紀〜16世紀にはモン族の王都となり、下ビルマの中心として栄えた。 18世紀半ば、最後のビルマ族王朝コンバウン朝を開いたアラウンパヤー王によってバゴーは征服され、昔日の栄華を取り戻すことなく今日にいたっている。


〜Sightseeing〜
◇シュエモード・パヤー(Shwemawdaw Paya)
この仏塔の歴史は、1200年以上昔にさかのぼる。仏陀の遺髪2本を納めるために、高さ23mの塔を建てたのが始まりとされる。 1900年代に3度の地震を受け、塔が崩れるなどの被害を受けたが、1954年に莫大な基金と民衆からのお布施によって再建された。

◇シュエターリャウン寝仏(Shwethalyaung Buddha)
994年にモン族の王ミガディパ王によって、建立されたとされている。バゴー王朝の滅亡と同時にその存在も忘れられ、密林に覆われてしまっていたが、イギリス植民地時代に鉄道敷設のため視察に来たインド人技術者に偶然発見された。



□ Bagan バガン □
バガンは、1044年にビルマ族による史上最初の統一王朝が開かれた土地である。イラワジ川中流域、その東岸平野部一帯の約40kuに、大小のさまざま仏塔や寺院が林立している。 ここはミャンマー屈指の仏教の聖地である。現存する建物のほとんどが、11世紀〜13世紀の間に建造されたもの。

□ Mandalay マンダレー □

古都マンダレーは、1857年にミンドン王によって建設され、以後1885年にイギリスに占領されるまでの間、ミャンマー最後の王都として繁栄した。1853年に即位したミンドン王は、仏塔・寺院を精力的に建設した、現存するおもな仏塔・寺院のほとんどは、その時代のもの。
  

シュエダグォン・パヤー(Shwedagon Paya)

ヤンゴン市街の北のシングッダヤの丘に位置する。
 言い伝えでは、2500年以上昔タポゥタとパッリカという兄弟の商人が、インドで仏陀と出会い8本の聖髪をもらいうけ、紀元前585年にこの地に奉納したのがシュエダゴォン・パヤーの起源といわれる。
□ Inle Lake インレー湖 □
シャン高原最大の湖インレー湖周辺の地域には、少数民族が多く住み、マーケットではさまざまな民族衣装をみることができます。
   

□ Kalaw カロー □
シャン高原に緩やかに連なる山あいにある町。民族色が豊かなのも特徴で、ビルマ族・シャン族のほか、インド系ムスリムや元グルカ兵のネパール人も多い。周辺にはパラウン族やパオ族など山岳民族の村が点在している。